河島英五
今から30年ほど前、まだオイラたち夫婦に子どもがいなかった頃、
彼のコンサートに行ったことがあります。
ファン層が若いママさん達だったので、子連れ入場がOKでした。

いのちの車窓から [ 星野 源 ]   腸がよろこぶ料理 [ たなかれいこ ]
沢山の子供たちがいたんだけど、そのうち一人の子が“ぐずり”だして・・・
ぐずりってのは連鎖するようで、他の子まで次々と泣き出して・・・
あまりの騒音に、かなり歌いにくそうに歌い続けてました。

そのうち舞台の袖に本人が引っ込んじゃって、どうなることかと心配しましたが、
何事もなかったかのように戻ってきて、また数曲ほど歌い上げたんだ。
20分ほどして・・・スタッフ数名で舞台の上に、とっても大きな段ボール箱を二つ運び込んだ。
何が始まるかと目を白黒させてたら・・・河島が手招きして子ども達を呼んで、
お菓子を配り始めたじゃありませんか。

そう、段ボールの中身はお菓子でした。河島の配慮で急遽手配したようです。
子どもってのは現金なもので、お菓子があればピタリと泣き止むもんですね。
嬉しそうに手渡ししてた英五の顔が忘れられない・・・
それからほどなくして、「時代おくれ」が大ヒットするんですが、
スケールのデカい、それでいて優しい笑顔の似合うシンガーでした。

あの時、泣いてた子ども達も、ひょっとしたら親になってるかもしれません。
あの日のことを覚えててくれるといいんだけどな・・・

河島英五 2001年4月16日没 享年48




河島 英五(かわしま えいご、1952年4月23日 - 2001年4月16日)
日本のシンガーソングライター、俳優。大阪府東大阪市出身。長女・河島あみるは歌手・タレント、次女・河島亜奈睦(アナム&マキ)、長男・翔馬も歌手。公称身長184cm。

【人物】
大阪府立花園高等学校卒。京都府京都市を拠点に活動。晩年は大阪府四條畷市に在住していた。 男の強さや哀しさ、優しさ、父親としての心情を唱いあげた数々の曲は、時代を越えて男性の共感を呼び、歌い継がれている。若いころにギターを持って世界を放浪し、庶民の暮らしに触れ、音楽を通して共に喜怒哀楽を共有し合った経験が、河島英五の音楽の礎を築いている。 内外のミュージシャンが驚くほどパワフルな音量と大声で唱いあげる姿、「男らしさ」にこだわった歌詞が特徴。コンサート活動は、大都市だけでなく山間部や僻地でも行い、音楽を通じてファンと交流することに主眼を置いた。

【来歴】
・1969年、フォークソングを始める。高校卒業後「ホモ・サピエンス」というグループで活動。京都の自主レーベル・京都レコードからデビュー。支離滅裂派フォークとしてあのねのねらと活動を共にした。デビュー当時は吉田拓郎の再来などと騒がれた。
・1973年、グループ解散後ソロ活動開始。
・1975年4月、メジャーデビュー。
代表曲は「酒と泪と男と女」(作詞・作曲:河島英五、編曲:宮本光雄)。この歌は河島が19歳のとき、彼の叔父の姿を見て作曲したものである。萩原健一がカバーし、テレビの歌番組などで歌っていたが、同じ頃、河島の歌唱版が京都・伏見の清酒メーカー・黄桜酒造(現:黄桜)のCMソングとして使われるようになると全国的なヒットとなり、河島自身も全国的に名が知られるようになった。
・1981年3月に西城秀樹がカバー(アルバム『HIDEKI SONG BOOK』)。
・1988年10月にBOROがカバー(アルバム『LOVE & TEARS-BORO BEST SELECTION』)。
・2007年7月に柏原芳恵がカバー(アルバム『アンコール』)。
・2008年5月に大友康平がカバー(アルバム『J-STANDARD 70’S』)。
・2008年9月に藤田恵美がカバー(アルバム『ココロの食卓 〜おかえり愛しき詩たち〜』)。

・その他の代表曲は「野風増」(橋幸夫らとの競作)、「時代おくれ」、「生きてりゃいいさ」(加藤登紀子に書き下ろした楽曲で、のちに河島もシングル発売)など。「時代おくれ」は、現在も多くのおやじ世代にカラオケで歌われており、松本人志、朝青龍や山本浩二、久保竜彦らも愛唱歌としている。また、“ランバダ”がダンスナンバーとして日本で流行する以前に『花の種』というアンデスを舞台にした哀調の日本語ナンバーに仕上げてレパートリーとしていた。
・1980年代、ケニアの首都ナイロビにある「グリーンバー」という酒場のジュークボックスには「酒と泪と男と女」のレコードがあり、日本人客が来ると現地の娼婦などがよくかけてくれた。当時、旅行者の間では、河島がグリーンバーに立ち寄った際、「俺は日本の歌手だ」と言っても誰も信じてくれなかったために自分のレコードを置いていった、という逸話がある。
・1980年代、NHKの番組「北陸東海」(中部7県で放送)の「英五のろまんちすと紀行」に旅人として出演、中部7県(愛知県・岐阜県・三重県・静岡県・富山県・石川県・福井県)各地を訪れた。なお、河島はこの番組のオリジナルテーマソングも歌っている。
・「時代おくれ」で、『第42回NHK紅白歌合戦』(1991年)の出場歌手として選出されるに至った。当日は第1部の白組トリで、ピアノを弾きながら歌われている。
・阪神・淡路大震災の被災者を励ますために、友人の桂南光らと毎年神戸でチャリティコンサート「復興の詩」を開いていた。死去した年のコンサートでは、河島の3人の子供たちと桂南光が、遺作『旧友再会』を観客と共に歌った。
・長女・河島あみるの結婚式に参列後の2001年4月16日、肝臓疾患のため急逝した。亡くなる2日前にライブに立ったのが最後の仕事だった。亡くなる前日に体調を悪くし、病院に運ばれるも既に手遅れの状態で家族に看取られ息を引き取った。
・告別式終了後の出棺の際、棺の上に遺影が置かれ、参列者から「英五」の連呼が起こった。自身のヒット曲「野風増」の歌詞には、息子が20歳になれば2人で酒を酌み交わしたいという内容があったが、河島本人は歌詞通りに息子・翔馬と杯を交わすことは叶わなかった。
(河島英五 - Wikipediaより)

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